弘前で雪への備えのまねごと
筵(むしろ)3枚、わらの縄と角材3本。それを使って、庭木の保護作業。
自宅の塀、庭の松、椿、イヌ槇、ボタン・・・。
しばらく、思いを巡らして、作業に取り掛かった。
11月23日(月)勤労感謝の日のことだ。
特別な予定がないこともあって、自宅の雪対策をやってみることにした。
弘前で庭のある家では、花木を縄くくり、板や棒で雪囲をする。
これまでの2回の冬で見てきた。
11月から12月にかけて、雪囲いの庭。
4月半ばまでの雪との共生に備える。
雪国の風物詩。
これまでの2回の冬はアパート暮らし。
アパートの前面の駐車場に降る雪をどうするか。
それだけのことで、一軒家の雪対策のノウハウは全くない。
雪囲いはこの時期の風物詩として見ていただけだった。
今年は違う。
借家の一軒家に住んで初めての冬。
雪対策をしなくてはならない。
最初に取りかかったのは、塀際のつつじ。
外の門の両脇につつじが植えてある。
長方形の枡に植えられているのに、小枝が成長していない。
その理由は雪の重みに耐えきれないためだ。
そう決めこんで、各材と板で囲うことにした。
ホームセンターで材料を見ながら考えた。
ちょっとした日曜大工ができる。
だが、考えがまとまらない。
それで中途半端にむしろ3枚、わら縄ひと〆、各材3本を購入。
やわらかい日差しを受けながら、各材を切ったり、庭の竹を持ち出したり。
一人思案の時を過ごす。
つつじにむしろを掛け、わら縄を巻いた。
椿には、下から3か所ほどわら縄でくくった。
イヌ槇はちょうど鉢巻きのように枝葉を巻いた。
松は外に飛び出している枝の先に縄を巻いて幹に吊りこんだ。
ボタンにはすの子を巻いた。
それ以外の小さな木は枝をくくりつけた。

[何とか格好は付けたが、1回の雪でつぶれそう?そんな雪囲い]
「素人としては何とかやったという感じね。周りから反感をかうような技術ではないわね」
買い物をして、自転車を押しながら帰ってきたオクサンが塀の周りのつつじへの私の雪囲いを見ての評価。
私もうまくできたとは思っていない。
1回の雪で役割が終わってしまう。
そんな予感をさせるささやかな出来栄えなのだ。
徐々に、徐々に。
雪がやってきて、模様を見ながら、強化すればいい。
冬の楽しみの1つにすればいい。
庭いじりのような冬の楽しみを見つけた気分となった。

[庭の中の緩い雪囲い]

[もともとこの家に備わっている立派な街燈囲い。ピラミッドみたいだ]
勤労感謝は土と風への感謝
11月23日(月)休日。今日は勤労感謝の日である。
ここ数日、地域の空気のようなものに安堵感を覚えている。
弘前では雪がそこまで来ている。
冬の準備が急がれるまち。
それなのに、地域の空気に安堵感か。
桜が咲いて、忙しく草花が働いた。
雪の下に眠っていたものたちがうごめいた。
先を争って地上に出て、生きた。
その力強さは、時を追って強くなった。
夏を超え、秋になり、稔りとなった。
力が結晶になった。
赤や黄色のもみじがそれを伝えた。
米ができ、りんごが収穫された。
先を争って地上に出て、生きた。
そのものどもの休みの時がきた。
赤や黄色のもみじがそれを伝えた。
それがいま。
土地にあたる風が冷たくなった。
山頂に雪のある岩木山。
雪の季節を知らせる雪が降った。
田んぼに稲はない。
りんご畑にりんごはない。
農家の人の顔が働く顔から暮らしを楽しむ顔になった。
静かな1年だった。
台風もこなかった。
自然が静かに動いて、恩恵だけをもたらしてくれた。
農家の人の顔が明るい。
笑顔がきれい。
それぞれが付き合っている土地の安堵感を写している。
弘前に住んで、庭の小さな畑でわずかばかりの野菜を作った。
5月に始めて、たくさんの種類の野菜ができた。
夫婦2人で楽しめる程度の野菜。
そんな暮らし。
その畑から隣の家越しに岩木山が見える。
土と風を感じながらの生活。
勤労感謝は土と風への感謝だと思う。
いただいた恩恵をもって冬を越す。
改めて、春に再生。
秋の今が安堵感の日々。
少し、弘前のことがわかったような気がしている。
少し、北国の生活がわかったような気がしている。
弘前の勤労感謝の日に感じたことだ。
りんごが里にやってきた
「近くまで来ましたので、寄りました。ご自宅におられますか」「おお〜。前田さんですか。どこからですか。もしかしたら、家の前からですか」
「えへっ。そうです」
「すぐ開けます」
11月21日(土)10時頃。
私の携帯電話がなった。
出ると前田強進さんの声が聞こえた。
その会話である。
自宅の前から私への電話。
急いで、玄関に出た。
りんごの木箱を車から降ろして、一言。
「りんごがもうないのではと思って、持ってきましたよ」
それに対して、私も一言。
「ええー。それはありがたい。わが家のりんごがなくなって、先ほど直売ボックスで3個100円のものを買ったんですよ」
前田さんの奥さんも一緒だった。
中に入るように勧めたが、車に子どもが乗っており、次に行くところがあるというので、小雨みぞれのなか玄関で立ち話。
家のオクサンも加わって4人となった。
りんごだけではなく、漬物とお酒もいただいた。
隣りの家もりんご農家である。
毎朝、決まった時間に活動されていた。
トラックエンジン音がなり、2台の車が出て行っていた。
それがここ数日、聞こえなくなった。
気がつけば、隣の家の庭が狭くなっている。
プラスチックのケースが積み上げられ、それに黄色いビニールカバーがかかっている。
たぶん、収穫されたりんご。
家の周りには倉庫があるが、そこにはりんごが集められている。
弘前の大地に雪がきた。
11月2日に初雪が降った。
ヘッドライトが見せるりんご畑のりんご。
収穫を待つりんごがまだあった。
それらのりんごが急ピッチで採り入れられた。
この時期は天候が不順だが、雪は続かない。
冬の暮らしを迫る予告の雪。
りんご農家へは畑のりんごの収穫を急ぐように求める雪。
弘前のりんご畑にりんごはない。
収穫が終わった。
りんご農家はそれまでの畑の生活が終わり、里での暮らしが始まっている。
前田さんが私の家にお出でになったのは、そんなことのしるし。
隣りの農家の庭がりんごでいっぱいになっている。
出荷を待つばかり。
弘前のりんごが里にやってきた。
これから全国にりんごが送られていく。
これから全国の家で新鮮なりんごが食べられる。
私の今どきの授業風景
突然に画像が消えた。学部授業の真っ最中に起こった。
パソコン使いの弱者の私はあわてて、機材をチェック。
その様子を見ていた最前列の女子学生がいう。
「プロジェクターがおかしいのではないですか」
それでプロジェクターの携帯スイッチをチェック。
動かない。
その様子をみていた男子学生がいう。
「先生、パソコンに画像が出ていますか。時間が経って、消えたのではないですか」
それで私のパソコンを見ると、確かに画面が消えている。
電池の節約のために、パソコンからしばらく離れると消えるように設定していた。
そのせいだった。
11月19日(木)16:00からの学部授業の途中のことだった。
10月から始まった後期から学部授業ではレジュメをパワーポイントで作った。
スライドを8枚分つくり、4枚を1頁に入れて、2頁のレジュメにして配布。
それで授業をやっていた。
学生数は100人前後。
事前に200枚のレジュメ印刷。
それ以外に、リアクション・ペーパーを配布する。
後期授業はしばらくこの2頁のレジュメを基礎に、板書を用いて講義。
私の声は悪声そのもの。
最近では、それに歯が抜けて、さらに聞こえにくいらしい。
だから、マイクを使う。
それでも学生からは聞きにくいという評価を聞く。
また、板書も小さいと言われている。
さんざんなのだ。
週1回のこの講義の5回目から思いついて、パソコンを使うことにした。
レジュメにニュース画像を入れたいと思ったが、プリントするには量が多すぎて無理。
レジュメは2枚にとどめて、情報量を増やすにはパソコンを使えば何とかなる。
そう考えた。
他の大学でもパワーポイントで講義をしたこともあるので、対応はできた。
だが、パソコン授業の基礎のない私は自分の力だけでは自信がない。
プロジェクターとパソコンをつなぐことがやっとで、ハプニングが起きると対処できない。
パソコンを教室のケーブルにつなぎ、プロジェクターで。
いまどきの学部授業はパワーポイントを使う。
画像を大写しにして、講義を行う。
レジュメのある項目にこだわり、1つのことを長くしゃべり過ぎた。
それで冒頭のような画像が消えた。
パワーポイント講義の最中に失笑を受けたことがある。
これもまた映し出している画像を放置したままの長い話。
この時は画像が消えたのではなく、画像が切り替わった。
私のパソコンに蓄積されている写真に切り替わった。
弘前ねぷたの画像。
わが家の犬の画像。
禅林街の画像。
次々に切り替わる。
講義室の設備に技術革新の波。
それを使って何やら工夫をしようとして、失敗している自分がいる。
それにしても講義がうまくならない。
長谷川・鰺ヶ沢町長追悼
鰺ヶ沢町の長谷川町長が東京で急死。大学職員からの電話で知った。
11月19日17時30分過ぎに町役場の職員から伝達されてきたという。
長谷川兼巳さん75歳。
津軽地方で私が働くようになって、とてもよくしてくれた町長だった。
地方財政の厳しさをもろに受ける鰺ヶ沢町の経営に苦心されていた。
最後に会ったのは9月。
横浜の友人と鰺ヶ沢町に近いつがる地球村に泊まった帰りに、訪ねた。
町長室には来客があり、一言話しただけで別れた。
「こうやってたまに来てくれるだけでいい」
そんな言葉だった。
鰺ヶ沢町は弘前から30余キロの日本海に開かれた町。
海の幸と山の幸が豊かな町。
高齢化が進んでいる。
企業が少なく、財政状態は悪い。
それでも職員を元気づけ、住民の生活を支えることに注力されていた。
大学の教職員にも積極的にアプローチされ、地域活性化に取り組まれていた。
弘前大学が最初に支援協定を結んだ自治体でもある。
長谷川さんとは一緒に飲んだこともある。
民宿の「なおじろう」での豪快な飲み方は、年齢を感じさせないものだった。
相撲が好きで、その話も楽しいことだった。
いつだったか、青森から東京・羽田に向かう機内で長谷川さんを見つけた。
飛行機を降りてからも一緒だった。
羽田空港のロビーを一緒に歩き、モノレールに乗り、浜松町でJRに乗った。
ずーっと一緒だった。
秘書はおらず、一人だった。
新橋駅で別れた。
その間、鰺ヶ沢町での取り組みを聞かせていただいた。
町単位でもなく、集落単位でもないその中間の住民の広がりを大事にしている。
昭和の大合併の前の旧町村の単位での住民対応に心がける。
そんな動きを聞かせていただいた。
大学に鰺ヶ沢町を応援して欲しいという思いを、長谷川さんに会うたびに感じていた。
学長に会って自分の意見を言えたことが余程嬉しいことだったようで、繰り返し聞いた。
実際に、鰺ヶ沢町と弘前大学教員の関係は一番深い。
弘前大学のイベントにもよく足を運ばれていた。
長谷川兼巳町長には学びたいことがたくさんあった。
話に夢中になると、たばこを取り出しのど飴の缶を灰皿においしそうに吸っておられた。
その顔が浮かぶ。
亡くなられた東京での会は、地方分権推進の全国大会だった。
政権交代でこれまでの流れを断ち切られまいとする小さな自治体のトップが集まっていた。
その一員として参加されていた。
町村会の宿泊施設で逝去された。
政権交代で地方分権が本当に推進されるのか。
そんな不安をもつ全国の町村長は多い。
長谷川町長は鰺ヶ沢町で孤軍奮闘されていたように思う。
惜しい。
お疲れさまでした。
ゆっくりお休みください。





