弘前での庭いじり

梅雨入りが宣言されて、南の方では大量の雨。
ここ弘前では、ようやく昨晩から3回目の雨。
今朝はかすかな雨音。


雨が少ない。
北日本の梅雨は弱い。
庭に水をやる環境のなかで、そう感じている。


トマト5本。
ナス3本。
ピーマン3本。
しし唐2本。
スイカ3本。
きゅうり1本。


何となく、ホームセンターや肥料屋で買った苗。
花をつけ、実をつけた。
小さな実をつけた。


トマト、ナス、ピーマン、スイカ、きゅうり。
どれも食べられるものではないが、実をつけた。


毎朝、それが気になって仕方がない。
出勤前にそれらをのぞくのがいつものことになった。
手元、足元が明るい時間に帰宅すると、長靴をはいてその成長を見る。


先週の土日に、大根、キャベツ、ニンジンの種をまいた。
大根はお約束通り、2日で発芽。
今は大根菜のように伸びている。
キャベツも双葉が出ている。
ニンジンは音沙汰がない。


そういえば、その3週間前に植えた玉ねぎの苗。
小さくて細いものを畝を切って、一本一本植えたのだが、姿が見えない。
雑草がうれしそうに伸びて、隠してしまった。
消えて無くなったようだ。


道具はクワ一本から始めた。
春になって、つくしとフキが出た。
放っておいたら、杉菜が一面を覆った。
それをクワで削ると、その中にイチゴの苗が20本ほどあった。
イチゴの苗を残して、畑を作った。


鎌を買った。
周辺の草、終わった水仙やチューリップの葉や茎を切る。
その中に、自生のアスパラガスを見つけた。
正確には、我が家の犬が食べているのを奪った。


昨日、ほうずきを見つけた。
雪が消えた跡にほうずきの実があった。
中身もそれを包む袋も繊維だけのほうずきの実。
どこかに、ほうずきが自生していることはわかっていた。


庭の隅に咲く小さな白い花。
そのしたに隠れたように黄緑色のほうずきの袋があった。
草を刈る手を止めて、それに見入った。


弘前での庭いじり。
小さな発見がたくさんある。
久しぶりの雨。
その音を聞きながら、私は夏を感じている。

おもしろい公務員たち

「ちょっとおもしろい人だね」
「エリート国家公務員が青森県庁に希望して、下っ端をしている」
「それも食文化の振興をしたいって。どんどん進めている」
「全く私欲がない」
「それで1年ちょっと過ぎた」
「ずっと続けているので、まわりが好奇の目から尊敬に変わり始めている」


7月2日(木)の夜のこと。
弘前大学近くの飲み屋。
青森県庁、青森銀行、大学教員等の8人ほどでのささやかな宴会。
そこで、最近まれな青森県庁の若手職員のことが話題になった。


弘前、黒石等の津軽の食文化を確かなものにするために奔走。
職場にはほどほどの気を遣って、あとはやりたいことをやる。
それを擁護してきた上司もいた。
銀行等の外部の人の口の端に上った。


この日の朝に、その男性と私は会っていた。
あるイベントの予定変更のことだった。
話を聞き、それに応える。
その時間がいい。
怖いくらいに時が早く進む。


1時間がすぐに経ち、次の予定まで食い込むのではという不安。
そんな気分が去来する。
こんな人と地域の仕事したい。


この人以外に、市町村の公務員にもおもしろい人はいる。
地域のことを考えて、自分の時間を消費する人たちだ。
学びたい、成長したいのではなく、感動したい。
偉くなりたいのではなく、世の役に立ちたい。
彼らは自主的に研究会を作っている。


人よりもテーマを見ている。
だから、ぶれない。
動くことが信頼に結びつく。


弘前での生活3年目になって、こんな人との出会いが蓄積されている。
津軽弁を使わないので、相手は息苦しいのかもしれない。
私は津軽弘前での生活を大事にしたい。
この地域のためになることをしていきたい。


人間関係に粘っこさが出てきた。
おもしろい人が少しずつ見えるようになってきた。
アクションとリアクションの関係がクリアになる。


これからが津軽弘前生活の本番。
これまでの山梨、宇都宮の生活体験から、これからおもしろくなる。


そこでのおもしろい人は欠かせない。
最近では年齢を感じることが多いが、その分、かみしもを脱ぐ人と一緒に行動したい。


地域の課題にショートカットで解決にまわる。
そんな人たちと一緒に行動する。

弘前に夏の動き

白いテント小屋が空地に建った。
当たり前のように、今年も弘前の街に小屋が建った。
白いテント小屋は、夏の弘前に、なくてはならない景観なのだ。
行き交う人の顔がりりしく見える。


いつものことだが、この時期に祭りの兆し。
夏の兆しは白テント小屋。
ねぷた小屋。


小屋の中には、衣装をまとう準備の山車。
笛や太鼓や鉦を練習する子どもたち。
昔話にふける老人。
祭りの準備を進める若者。
それらを裏から仕切る女たち。


白いテントの小屋の中。
津軽・弘前の人々が毎年続けてきたこと。
それが今年も行われる。
ひとり一人の思いを超えたみんなの事。
それが祭り。
ここではねぷた。
400年近くもの時を重ねた集い。


これから1か月。
祭りの季節の始まり。
夜宮(ヨミヤ)が各地で開かれる。


浴衣姿の子供たち。
どこからとも現われて、その行く先は夜宮。
金魚すくい、焼きそば、射的ゲーム・・・。
人影のなかった路地に突然に現れる子どもたちのオアシス。


弘前の路地に忽然と現れ、消える。
それが弘前の夏の始まり。
大行列のねぷた祭りが近いことを教える路地のオアシス。
それが夜宮。
弘前のまちなかで50か所以上も開かれる。


7月2日(木)には小比内の神明神社で開かれる。
7月7日(火)には淡島神社、熊野神社、富岳神社で開かれる。
ジューシー2009 summer号に各地の夜宮情報が出されている。


白テントと夜宮。
これが弘前の夏の始まりを知らせる。
夏のシグナル。


弘前の人々は夏の過ごし方を残している。
暑い、あついというだけではなく、その過ごす楽しみを残している。
そこに生きる歓びを感じる。
そのおすそ分けに便乗しているのが私。


愛犬の目線の先

オクサンが東京に出かけて3日目の朝。
犬と私だけの一軒家での生活も3日目の朝。
犬は私を見ている。

横たえている体の向きが変わった。
私の動きがとらえられるように頭が私を向いている。
目を開けば私がそこにいるという姿勢になった。


それまでのわが家の犬のダンは、私を見て見ぬ振り。
オクサンの音、動きを追っていた。
トイレに行く時、そこから帰る時。
台所に行く時、居間でテレビを見る時。
その一挙手、一挙手を追い続けていた。
甘えた鳴き声で食事や散歩を催促することもある。


私はそのストーカーのような犬を見ていた。
餌をやり、散歩に連れていくのは、オクサン。
私ではない。
二人と一匹の生活。
愛犬ダンはオクサンの挙動に集中していた。
私はそのその蚊帳の外にいた。


オクサンが東京に出かけて、1日目。
18時半頃に、自宅に戻った。
自宅にこもって10時間が経っており、食事と散歩を犬が求めている。
私はそれを想像しながら、帰宅を急いだ。


家に帰ると、ダンは静かにしている。
誰も家にいないと、吠えない。
誰かが侵入しても、一匹だと吠えない。
逆に誰かが家にいると、うるさいくらいに吠える。
そんな怖がりの犬。
静かにしているのはいつものことだ。


餌をあげると、すぐに完食。
私の後ろの誰かを探す。
オクサンを見つけようとしている視線を送っている。


その後は、庭に犬を出す。
うれしそうに外に飛び出す。
ここでも誰かを探している。
庭を走りながら、オクサンを探している。
飼い主を探している。


私は同居人。
飼い主の補助者だと思っている。


オクサンが東京に行って2日目の朝にも餌をあげた。
その後に、庭に犬を出した。
散歩はできない。
30分位、庭で遊ばせた。
トイレもさせた。


この日も18時前に帰宅。
ダンは静かに私を迎え、その後ろの人を探す。
与えられた餌を食べ、庭に出る。
しばらく外の空気を楽しんだ後に、ボール遊びを催促。


足元にボールを持ってきて、取りに行くから投げろという合図を私に送る。
それでも5、6回で暑いせいかやめる。
そんな時間を過ごして、深夜にもう一度庭に出る。


今朝は私を見ている。
オクサンがいないことを理解したような姿勢。
私の挙動をじっと見ている。
これから3日目の朝の食事を与える。

津軽・美・人プロジェクト

「津軽・美・人」をあわて者はつがるびじんと読む。
確かに、津軽の女性には色が白く、美しい女がいる。
だから、点を無視して、津軽美人と読んでもいい。


日本海側に1県置きに美人の県があるとも言われる。
その中に、青森県は入っていない。


美人なんていうと、女性だけを指すと誤解する人がいる。
男性に対しては、美しさで価値を判断しないからなのか。
加えて、セクハラにつながる表現だという人もいる。


美人とは、男女を問わず、輝いている人を指す。
内側も外側も光っている。
そんな意味で、美人を使いたい。


津軽美人。
津軽地域の光っている人。
光っている津軽人。
そんな意味だが、性を固定して女性に限定して伝わってしまう。


街に行くと、足が長く肌の色の透き通った女性を見ることがある。
日本人とは思えない風貌の女性。
そんな人が津軽にはたまにいる。
それで女性限定に聞こえてしまうのかもしれない。


津軽地域は美しい。
四季がはっきりとしていて、それでいて穏やかなのだ。
春の花はいつまでも衰えない。
人も美しい。


資源もある。
人も個性的だ。
それなのに、経済的豊かさに不安がある。
人口が出ていく。


だめな理由はたくさんあるのだろう。
それと同じくらい、いいものがある。
いいものを発信して、津軽の地域と人の美しさを理解したい。


そんなことを3か月くらい考えている。
その途中で津軽美人という言葉が浮かんだ。
だが、その言葉を発すると「女性」の話題になる。


それで知恵者の大学院生が作ってくれた。
「津軽・美・人」
点が見える人と見えない人がいていい。
津軽の女性を語る人がいても、津軽の美や津軽の人を語る人がいてもいい。


津軽・美・人プロジェクト。
津軽・美・人の読みは、「つがるびと」
そのプロジェクト。
「津軽地域の総合的研究」というニュアンスになる。
この用語から津軽地域をもっと、もっと発信する事業という意味を出したい。
たくさんの誤解を生みだしながら。


津軽・美・人プロジェクトはこれから中身が盛られる。
このプログのテーマの1つにしたい。