連休期間での弘前土手ブラ

大きな本箱にたくさんの書籍。
小さく区切られているジャンル。
本屋の本に込める真摯さを感じていた。


ゆっくりとゆっくりと、歩く。
書棚の森。
一人の世界が広がる。
久しぶりの気分である。


そこから文房具の売り場。
展示を楽しむ。
おしゃれな小物がある。
アイデアを込めた商品もある。


新しい手帳のカバー。
10数年も使っている6穴の手帳。
そろそろカバーを一新させてもいい。


5月5日(土)18時頃。
弘前市中心街のセンターに立つ中三デパートの6階にいた。
5月3日にそのデパートの6階と7階にオープンした書店と文具店。
ジュンク堂弘前中三店である。


5月4日の毎日新聞は次のように報道。
「この日の開店セレモニーでは、同書店の工藤恭孝社長が「ネット書店や電子書籍の進出で苦境にある中、出店を悩んだが、学園都市・弘前を出版文化の中心地として人を呼べる街にしたかった」とあいさつ。鳥羽隼弥店長は「国立大学がある街として、特に自然科学系の専門書の品ぞろえに力を入れた」と語った。」


私の目的は外食。
上土手で食事をする。
桜見物客で当日では予約はとれない。
ただ順番待ちで入るしかない。
それをふんで、自宅からバスに乗った。


想定通り。
その店で待ち時間を聞いた。
1時間半だという。
順番になったら店から携帯に電話を入れてもいいという。
それではと予約簿に名前を書いた。


それからは時間つぶし。
土手町を歩いた。
いつもより人が出ている。
花見客の流れ。


本を見に行こう。
紀伊国屋ではなく、オープンしたてのジュンク堂を目指した。
そして、冒頭の大きな本箱と小さく区切られたジャンル。
久しぶりの静寂を得た。
800坪もの面積の書店と文具店。


小物を買って、中三デパートのエレベーターを使って降りた。
このデパートで初めてエレベーターを使った。


そして、予約の店に戻った。
弘前土手ブラ。
シャッターが下りている店が多いが、気分はいい。
土手町商店街を行き来している自分。
こんなことが繰り返されることをこのまちは待っている。


スナックニュー槙

カウンターに和服の中年女性が立っていた。
桜色である。
ドアを開けて、いぶかりながら入る一見の私に安心の笑顔を送ってきた。
「いらっしゃいませ」の声がかかった。


弘前に住むようになってすぐの頃。
弘南鉄道大鰐線の弘高下駅のそばのアパートに住んでいた。
鍛冶町で飲んで、歩いて帰る途中にこの名前のスナックがあった。
名前は「ニュー槙」
看板が気になっていた。
小さなビルの1階の店舗。


それから5年。
今はそこを通るのは車。
清水3丁目に住むようになって3年。
歩いて通る機会はなくなっていた。


4月26日(木)の20時半頃。
かくみ横丁で楽しい飲食。
店を出て、何となく鍛冶町を歩いた。


どこかの飲み屋に入ろうとも思っていたわけでもない。
小雨降る中をただ何となく歩いた。
路上でキャバレーの呼びこみが私に声をかけた。
「行くところはお決まりですか」
すぐに答えた。
「ああ、決まっているよ」
私のような初老にはそれ以上の声をかけないものだ。


一方通行の通り。
空車のタクシーが私に向かって並んでいる。
長い隊列。
どんどん進んで、縦の道へ。
ここでタクシーをひろって自宅に帰ろう。
雨に当たりながらそう思っていた。


左手前方に、ニュー槙の看板が目に入った。
ふと入ってみようか。
気が変わってその店のドアを押した。


そして、冒頭の様子。
その女性以外誰もいなかった。


水割りを頼んだ。
銘柄を聞かずに、作ってくれた。
2杯目で、店名のいわれを聞いた。


槙という名前。
この女性が2代目のママ。
西村稲美さんがその人。
槙にニューをつけたのだという。


私の名前の一部が店の名前と一緒。
新字体とはいえ、親近感を覚えていて、5年前からこの店に入りたいと思っていた。
そう伝えた。


30分ほど、店内の止まり木での一人だけの飲み会。
秋田市の川反でも「槙」というスナックがあった。
このスナックの女性はそれをご存じなかった。
少しばかりの解放感と小雨が押しこんだ一人だけの2次会だった。



弘前市の倉光写真館

「右肩をさげて下さい。はい」
「それでは左側に顔を向けて下さい。はい」
「それでは右側に少しだけ顔を向けて。はい、はい。それでいいですよ」
「この人形を見て下さい。私が持っているこの人形です。はい」
「はい」の後にシャッターの音。


弘前大学文京キャンパスから歩いて3分。
雪の今でも5分ほどで歩いて行ける写真館。
その2階での写真撮影の模様である。


3月19日(月)14時55分にその写真館に入った。
倉光写真館。
15時にアポを入れていた。


肖像写真を撮る。
大学のホームページに写真を掲載。
週の始め頃までを期限に求められていた。


これまでは証明用の自販機による写真か自分の写真を利用。
照れくささもあって、あまり時間をかけなかった。
それでいつも写真に不満。
いつも自分の顔のことを棚に上げている。


ある時に学生時代の旧友から電話。
「お前の大学の写真を見たよ。よくないねぇ。ピンボケじゃないの」
そう言われた。
それに対して、
「あの写真は私なりに満足しているんだ」と言い返した。
相手は笑いながら、「もう少ししゃんとした写真を貼った方がいい」と言った。


1週間ほど前に、所属している研究科のホームページの写真を出すように事務に言われた。
いつものように証明用の自販機に入って撮るか、自分のカメラで撮るか。
自分のカメラで撮るのなら、オクサンの手をかりるしかない。
それでオクサンに相談。
すぐに断られた。
提案は市内の写真館で撮ってもらうことだった。


それで倉光写真館を探し当てた。
受付に入ると奥から声。
写真助手のような若い女性が出てきた。
就活学生のような黒づくめ。
受付には記念写真がいくつも張り出されていた。


促されて2階。
そこは写真場。
座る場所を指定され、向こう側に3人。
カメラを持つのは50歳前後の男性。
私に指示を出すのはその同年配の女性。
その向こう側に黒づくめの女性。
ああだ、こうだと15分くらいの時間が経って、終了。


それから10分も経たないで、写真データを渡された。
6枚のデータを入れたので、そこから選んで使うといいという。
写真の現物はない。
2500円を支払って出た。


誰もがカメラを持つ時代。
それもデジタルカメラでフィルムを使わない。
街の各所に証明用の写真自販機がある。


写真館の経営は大変なことだろう。
集合写真や記憶を残す仕事につながることが今の生き方ではないか。
それでも弘前には、写真館が似合うと思った。


弘前での黒い道と白い道

津軽の雪が変わり始めている。
あれほど白さを誇った雪。
白い衣をまとった水滴。。
降り続ける雪。
山をなす雪。
これでもか、これでもかと雪は降った。


冬の底からほぼ2週間が経った。
雪山の形はそれほど変わらない。
だが、つやが出ている。
汚れが出ている。
大地に近いところが汚れがひどい。


まちは白くなった。
初めはおしろいを塗ったような白さだった。
だんだん白さは本格化した。
白都の様相を深くした。


雪を受ける大地も大地に降り落ちる雪も一緒になれる。
大地は白い肌になる。
雪は落ち着き先を探すことができる。


大地と雪の勘違い。
その勘違いの関係が4ヶ月も続く。
それが雪国なのである。


雪解けが始まった。
肌の汚れを大地は知る。
白くなりたいと焦れば焦るほど、雪の肌が濁る。
それが雪に伝わり汗をかく。
早く大地になりたいと焦っているように汗をかく。


白かったまちにアスファルトの道が現れている。
車の通りの多い道。
筋状の黒い道だ。


その外側に白い道。
人が歩く道。
雪の道。


3月6日(火)18時前。
弘前市内でバスを降りて、道を歩いた。
人が歩く道の白い道。
安全だが、歩きにくい。
水を多く含む雪が私を転がそうとねらっている。


それで黒い道へ。
ここは車道。
後ろの曲がり角から車がやってくる。
それを気にしながらの黒道歩き。



雪解けの始まり。
大地と雪の別れ。
お互いの勘違いが積雪を生む。


大地と雪の別れの始まり。
黒い道と白い道。
歩行者にとって今の雪国は危険がいっぱいなのだ。

五所川原の地域リーダーの夢を聞く

「『ごしょ山宝汁』を私は繰り返して言っていますが、この名前は私たちが自主的に登録商標をとったのです。山宝汁と略して言った方がいいのですが、それではブランドになっていかないです」


五所川原市商工会議所女性会のリーダーがこのように主張。
2年前につくり上げた創造料理の汁。
大きな鍋でつくり、たくさんの人たちにふるまえる。
五所川原のイベントではよく登場する汁が昨年には登録商標を得て、缶詰やレトルトも作っている。
さらに、市内6店でごしょ山宝汁を出せるようにした。
そう説明して、女性リーダーは胸を張った。


2月26日(日)13時からの五所川原市民学習情報センター1階大教室。
23年度市民提案型事業成果報告会。
五所川原市内9つの団体が今年度の事業成果を報告した。


五所川原の市民提案型事業は22年度に開始。
この日は2年目の23年度事業の報告だった。


1年前と同じ場所でほぼ同じプログラムで成果発表会を実施。
市民による審査会と次年度申請予定の人たちが見守るなかで約3時間半の報告会が行われた。


皆さんの報告は1年前に比べて格段によくなった。
堂々とし、自信にみなぎった口調。
この試みの意義を体現されているように感じた。


冒頭の五所川原商工会議所女性会。
2年前の事業提案時には、市役所に「ごしょ山宝汁」を持ち込んで、その事業計画を示された。
それからほぼ2年。
地域のブランドとして未来に活かす。
そんな強い思いにまで進化していた。


太宰治検定、金木地区のミュージアムヒストリー、五所川原JCの事業。
ごしょ山宝汁と同じ22年度から2年を続けている。
なんでもかだるべし〜うらも2年実施。


地域別にみると、五所川原市の飛び地の市浦地区が目立っている。
23年度に新規に実施している中に、2件。
23年度から継続に1件。
市浦地区の市民提案は全体9件のうちの3件、3分の1に達している。


共通しているのは、実施している市民の団体に夢があるのに、回りの関心が薄いこと。
遠くの人、旅人などはエールをおくるが、地元の人は黙っているのだという。


市民が自分のためだけではなく、社会のために提案して実施する。
そんな動きに多くの人は慣れていないのだ。
だからどうしていいのかわからない。
知らない顔をするしかないのだろう。


そんな中でも、市民団体が自主的に提案して事業をしかけ行う。
大変な労力。
そこに気苦労もある。


この動きが一時的なイベントに終わらせず、地域社会を支えるものにつなぐ。
地域のリーダーに求められている。
たとえ、身の回りの人が無関心を装っていても、そのつなぎが必要。
それに成功した地域が未来を豊かにする。
そう思いながら、9つの事業成果報告を聞いていた。